2017年2月20日月曜日

10Cシーア派、11Cスンナ派の意味を論ぜよ[世界史7]

「10世紀はシーア派の世紀、11世紀はスンナ派の巻き返し」の意味を論ぜよ

 10世紀に入るとスンナ派のアッバース朝の支配が揺らぎ、メソポタミアでは932年成立したシーア派のブワイフ朝が946年頃に首都バグダードに入城し、大アミールの称号を得て、アッバース朝の政治的実権を奪取した。
 また、北アフリカでは909年にチュニジアでシーア派のファーティマ朝が成立し、勢力を拡大して969年にはカイロを建設した。
 これらブワイフ朝やファーティマ朝の隆盛が10世紀はシーア派の世紀と言われる理由である。
 しかし、11世紀になると、スンナ派のセルジューク朝がブワイフ朝を滅ぼす。
 また、北アフリカでは、スンナ派のムラービト朝が起こり、マグレブ地方(北アフリカ西側)のファーティマ朝の領土を奪取し、ファーティマ朝は勢力を縮小することになった。
 これらが11世紀はスンナ派の巻き返しと言われる理由である。

(注)歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

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