映画に見る社会 話題の映画から現代社会をウォッチング written
by 塩こーじ
【1】
昨年、夏の休みを利用して仙台から石巻、釜石と三陸の海沿いを車で走りました。
東北もむかしツアー添乗員をしていたころはよく来ていましたが、最近はご無沙汰でした。
添乗の仕事を辞めるきっかけのひとつが、2011年の東日本大震災でした。
3月に発生したため、ちょうど東北の桜の開花時期に重なってしまい、花見のツアーもほとんどが中止。添乗の仕事も大幅に減ってしまいました。
仕事もなく、じっと家にこもって震災の報道を見ている日々、仕事で何度も訪れた土地が甚大な被害を受けている様子に心が痛みました。
白い砂浜が魅力だった浄土ヶ浜は津波のゴミに覆われてしまい、ボランティアの人たちが手作業でゴミを取り除いているとニュースで聞いて、居ても立っても居られないような気持ちになりました。
震災から一月後、ボランティアに参加。僕が行った仙台は、被害はそれほど大きくなかったということでしたが、それでも津波に襲われた海沿いの地域は、田んぼは瓦礫だらけ、家の中は家財道具がめちゃくちゃという状況でした。
一人の人間がボランティアをしたくらいではこの状況は何も変わらない、そんな無力感を感じながらおよそ5日ばかり、津波のあとの土砂を片づけていました。
昨年夏、久しぶりに東北の地を訪れて、あのときのどうにも頼りなかった気持ちを思い出しました。
今回は震災後の石巻を舞台にした『生きる街』という作品を紹介します。
【2】
冒頭、カメラが上空から海沿いの被災地をとらえます。大きなクレーン車が行きかい、大規模な工事現場そのものです。
映画は震災から5年後という設定なので、おそらく現在からほぼ3年前の風景でしょう。昨年ぼくが現地をまわったときは、もう少し落ち着いていた印象でした。
夏木マリさん演じる映画の主人公は震災後も石巻に残り、使われなくなった別荘を譲り受けて民泊施設をいとなんでいます。
彼女の娘と息子は、遠く離れた名古屋でそれぞれ別々に暮らしています。その地で出会う被災者のあいだでは「震災のときどうしてた話」があいさつがわりになっているようです。
津波に襲われた組、家族を亡くした組、震災を引きずっている派。被災者のなかにも微妙な温度差があることが分かってきます。
【3】
東北を離れても震災の傷が癒えない息子や娘たちにくらべると、被災地に残った主人公のほうが明るく生きているように見えます。
ツィッター上で積極に情報発信し、遠方から来た泊まり客たちに新鮮な魚料理をふるまいます。多くの命を奪った海はまた、われわれに豊かな海の幸を与えてくれるのです。鳴き砂が名物の石巻の浜は、多くの外人観光客も訪れるようです。
一見、震災の影はうかがえない主人公ですが、彼女も津波で夫を失っており、真夜中の闇の中でたびたびフラッシュバックに襲われます。
この映画、観ているとはじめのうちは画面の暗さがちょっと気になるのですが、もしかしたらこの暗さこそ、電気も満足に供給されなかった震災当時のリアルだったのかもしれないと思い当たり、それからは気にならなくなりました。
「テレビは押し寄せてくるようでラジオが好きになった」とつぶやく主人公。押し寄せるのは津波の映像なのか、それとも被災地に集まるマスコミ陣なのでしょうか。
震災後の石巻を描いた『生きる街』。あえて悲劇性を強調しない静かな作品でした。
【4】
3.11直後は震災を描いた作品、とくにエンターティメント系のものは不謹慎といわれ、震災から微妙に距離をおいていたような印象があります。
たしかに当時、クリエイターたちはあの現実を前に「自分たちが創るものはいったいなんの役に立つのだろう」と自問自答したでしょう。
でもあれだけの出来事が人々の生き方や創作物を変えないはずがありません。その後,震災をテーマに多くの優れた作品が発表されています。『生きる街』もそのひとつでしょう。
主演した夏木マリさん自身も被災地に深く関わっていて、この映画ができあがるきっかけになったということです。震災をきっかけに、みなが少しずつ自分の人生について考え、生き方を変えています。
僕自身も震災後は、片道1時間以上かけて通勤する日々をやめ、地元を仕事の場に選ぶようになりました。必ずしも地元で働くことだけが正しいとは思いませんが、自分の足元を大切にしながら生きることの大切さが、あの震災で少しわかったような気がします。
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